- SORGENKIND
- 4月23日
- 読了時間: 8分

著者が大学での本業に復職した2023年、日本におけるサイケデリック・ルネサンスが本格化し、主に精神医学の領域で研究が始まりました。抗うつ薬としてのサイケデリックスに再会した著者は、『ゾルゲンキンドはかく語りき』の出版の後、うつ病当事者として研究に加わるようになります。
編集後記3回目は、まさに産みの苦しみを伴った制作秘話から、短期間のうちに起きた濃密で不思議なシンクロニシティ、セレンディピティについて振り返ります。
構成◉染矢真帆
畳み掛けるシンクロニシティ
復活の兆しと抑うつの狭間で
蛭川:2023年4月から復職し、さらに十数年ぶりに、研究室に院生が二人も入学しました。しかも、二人とも研究テーマがサイケデリックスです。
同じ4月には、だいぶ前に東京からアメリカのオレゴン州に移住した、旧知のセラピストの女性であるビショップ直子さんと、たまたまネット上で再会しました。近況を聞いてビックリしたのですが、2023年から世界に先がけてオレゴン州で始まった、シロシビンのファシリテーター養成学校に入学するための願書を書いているというんです。それで喜んで指導教官のような推薦状を書きました。直子さんは一年後に、日本人としては最初のシロシビン・ファシリテーターになりました。その合法化されたシロシビンを求めてオレゴンまで飛んで行った話は、また後の連載でお話します。
4月19日にはLSD研究80周年を記念して「International Association for Psychedelic Research」という国際学会の設立を世界に呼びかけたり、私じしんも積極的に活動を再開していたときでした。

蛭川:2023年の9月には、順天堂大学で神経精神薬理学会の大会が行われ、イギリスのインペリアル・カレッジでサイケデリックスの研究をしているデヴィッド・ナット先生の講演があるというのを聞いて飛び入りで参加して、ナット先生をつかまえて二人でずっと議論しました。欧米では「ケタミンからシロシビンへ」という抗うつ薬ルネサンスが2017年ころから進んでいたことを知りました。
サイケデリックスに関連する出来事、再開、復活が一気に起こったという時代に立ち合っているという興奮で軽躁状態になってしまったのか、だいぶハイテンションで書籍の執筆にも取り組んでいたのですが、暑い夏が続いた後、秋になって急に気温が低下していくのと同調するように、再び脳の電圧も低下しまったのです。そこから全く執筆もできなくなってしまいました。
染矢:そうでしたね。ほぼ完成しているのに、あとちょっとのところで進まない。でも、本当に先生も大変そうでしたから、まずはなんとか、また元気になってもらわなければと、焦らず、様子を見ながら、進めていきました。
著者と編集者も共倒れ!? その過程で醸成された
ゾルゲンキンドの狂気の語り、深い物語
蛭川:しかし、なかなか回復せず、主治医の先生と相談して、ダメモトで大学の仕事が休みになる年末年始に、新しいSSRI、エスシタロプラムを試したのですが、けっきょく吐き気とか、副作用が強くて、薬が効きはじめる前に服薬を断念してしまいました。
染矢:ちょうど、2月末から3月にかけて、なんだかわたしも先生のうつ状態に同調してしまい、体調が落ち込み、病院で色々と検査をした結果、軽度のうつ病と診断され…図らずも、著者も編集者も共倒れになってしまいましたよね(笑)
蛭川:私がグズグズしている間に、編集の染矢さんにも悪影響を与えてしまって、申し訳ありませんでした。締切を何回も延ばしてもらって、当初のスケジュールどおりには出版できなくなってしまい、申し訳なくて、もう申し訳なくて、責任をとって消えてしまいたいという変な妄想がふっと頭をよぎったり、今から思えばうつの症状がかなり悪化していたんだなあと振り返れます。
ウツに落ちてどうしようもなくなっていた年末年始に、イライラしながらドイツ精神病理学の難しい本を読み込みました。労働に対する過剰な責任感と罪悪感の悪循環が抑うつという症状を悪化させていく、そしてサイケデリックスは病的に追い詰められた精神を一発で反転させて解放するのだと、LSDの精霊ゾルゲンキンドに難しいドイツ語で語らせました(P96-99)。
染矢:先生はうつ状態であっても、難しい本を読めるというのが、すごいなと驚いていました。私はもう脳が疲れ切っている感じで、文字の読み書きはもちろん、映像を観たり、音楽を聴くことさえしんどい…そんな状況がしばらく続きましたから。
しかし、先生が病床から書き上げた原稿には、私じしんもとても励まされました。ゾルゲンキンドが、難しいドイツ語で畳み掛けてくる「人間の存在と社会の仕組み」(P96〜)は示唆に富んでいて。とくに締めの一文に、やられました。
――人間は聖なる肯定(ハイリゲス・ヤー・ザーゲン)によって、
生(レーベン)への愛(リーベン)、存在(ザイン)と時間(ツァイト)、
実存(イグズィスタンツ)の歓喜(アーナンダ)を取り戻すことができるんだね。
ここで語られる「聖なる肯定」が何かについては、PART8(P120〜)の最後でわかるのですが、確かに苦しい時というのは、何もかもを否定しているような状態だなぁ、と。ゾルゲンキンドの声に耳を傾けていると、不思議と心が落ち着いてくるようでした。
確か先生は、この原稿を書き終えた直後の3月に、日本で最初のケタミンクリニック「名古屋麻酔科クリニック」に行かれたのでしたね。

蛭川:そうなんです。日本にケタミンクリニックができたことは研究室の院生から聞いて知っていたのですが、うつ状態が悪化したときこそ、行って自分で体験するしかないと、重い体を引きずって必死の思いで新幹線に乗っていったものでした。
ケタミン体験については、次回以降の連載で詳しくお話しますが、点滴している最中は、自分が宇宙飛行士になって宇宙遊泳をしているようなビジョンを見ました。さらに興味深いことに、神秘的なビジョンの内容とは別に、点滴の後、翌日ぐらいから重くて固まっていた体がものすごく軽くなり、久しぶりに背筋が伸びたような感覚になりました。空の青さに心が弾み、清々しい気持ちになったのを覚えています。ただ、効果は3日しか続きませんでした。ケタミンを抗うつ薬として使う場合には3日おきぐらいの連続投与が必要だということは学会でナット先生から聞いていたのですが、そのとおりでした。
ケタミンの効果はすぐに切れてしまいましたが、3月から4月にかけては、大学も春休みですから、この期間中になんとか執筆を終わらせたいと、重たい体を引きずりながら頑張りました。
絵本の出版とともに、伏線回収。
うつ病当事者としてのサイケデリックス研究が本格化
染矢:途中、もう出版は難しいのではないかと、そんな不安に襲われながらも最後は本当によく駆け抜けたなと思います!
蛭川:おっしゃる通りで、よく校了できたなと感慨深い思いです。
校了直後の5月25日には神経精神薬理学会の大会が二年連続で東京で開催されて、私も参加したのですが、慶應大学や名城大学でケタミンやシロシビンの研究が進んでいるといったシンポジウムがあって、日本での研究が急に進んできたことに本当に驚きました。
それから出版月と同じ6月には、オレゴンのビショップ直子さんが養成学校のプログラムを終え、ファシリテーターとして活動を始めたというので、8月には実際にシロシビンセッションを受けるために必死の思いでオレゴンまで行きました。詳しいことはまた次回以降でお話ししますが、うつ病治療の当事者研究としては、治療の現場でケタミン、シロシビンを体験したことになります。
5月の薬理学会と前後して、慶應大学の内田裕之先生の研究室とのやりとりも始まりましたが、サイケデリックスが単極性のうつ病に著効だというのは、もう日本の大学病院でも確認段階に入っています。次は双極性障害のうつ状態でも大丈夫なのか、という方向に研究が進むのではないかと思います。

蛭川:前々回の編集後記(Vol.1)で、自分の病歴を長々と年表みたいにまとめてもらいましたが、振り返ると、もう大学生のころに学生診療所で精神医学の新宮一成先生に「躁うつ病かもしれませんが、躁状態になれるのは才能でもありますからね・・・」なんて意味深長なことを言われていたことも思い出しました。
従来の抗うつ薬は、単極性のうつ病、大うつ病の抑うつ状態には効きますが、典型的な躁うつ病である双極Ⅰ型の場合には躁転させる可能性があります。サイケデリック療法でも単極性うつ病に対しては即効性がありますが、躁転は起こりうるのか、より軽度の双極Ⅱ型ならば大丈夫なのか、といった手探りの臨床研究が始まっています。
うつ病だか双極症だかもよくわからなくて、中間型の双極Ⅱ型という分類なのかもしれませんが、そういう不調をこじらせてしまった自分が、今、あらためてサイケデリックスの精霊たちと再会して、そして絵本を書き、さらに精神医学の最先端の研究に当事者として関わることになったわけです。
森の精霊たちはひょっこり現れたり消えたりします。サイケデリックスの精霊とは二十年ぶりの再会でした。しかも抗うつ薬として、です。これもセレンディピティ、幸運な偶然というのか、不思議な巡り合わせだと思います。
…続く
※自転車の日:1943年4月19日、スイスの化学者アルバート・ホフマンが、自身が合成したLSDの幻覚作用を発見したことに由来。ホフマン博士が初めてLSDを服用し、強烈なサイケデリックス体験の中で、自転車で帰宅したという逸話から、この日が「自転車の日」と呼ばれるようになった。
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この記事は、違法薬物の所持・使用を推奨するものではありません。薬物の所持・使用については、当該国の法律・政令に従ってください。ただし、法律は地域と時代によって変わるもので、科学的な根拠に基づいているとは限りません。法律の制定の手続きが正当な議論を経ていないこともあります。
- SORGENKIND
- 3月24日
- 読了時間: 11分
更新日:3月26日

合法LSDの流通が増加した時期に、蛭川研究室への来訪者も急増。日本におけるサイケデリックスのゴールドラッシュの始まりの時期ともいえる2022年に哲学絵本『ゾルゲンキンドはかく語りき』の制作も始まりました。
今回は絵本の核となる思想的背景が、明らかになります。
構成◉染矢真帆
定職について家庭を持つべきか
それとも出家するべきか……
染矢:前回のお話しでは、2022年度に再び療養のため休職されたとのことですが、その年は、思いがけない来訪者や出会いがあり、先生の研究が再開するきっかけの年になったそうですね。
蛭川:そうなんです。もう二十年も前の、自分が三十代のころに執筆した『彼岸の時間』(春秋社、2002年)を読んだという読者からの問い合わせが増えたんです。ペルーにアヤワスカを飲みに行きたいとか、出家するならタイがいいのかスリランカがいいのか…といった相談を受けるようになりました。
その背景には、合法カンナビノイドや合法LSDの流通が考えられます。摂取する人が急激に増えたんですね。
下のグラフは、蛭川研究室の院生と一緒に調査した、今年、発表されたばかりの最新研究です。

染矢:2021年からサイケデリックス体験者が急激に増えていますね。しかもLSD群の人数が圧倒的!合法LSDの流通時期とも重なります。これは、今の時代を象徴するような、とても貴重な研究データですね。
蛭川:初体験をした人の人数が急増しているわけですから、体験者全体の数は激増しています。自分が学生だったころは、1990年代にゆるやかなピークがあったシロシビン・マッシュルームの流行の時代でした。それでメキシコの先住民のところまでシロシビンの調査に行ったわけです。
しかし今、注目すべきは、昔からのユーザーが復活したのではなく、2021年以降に、初めてサイケデリックスを体験した人が多くて、平均すると三十代の男性が多い、うつ病の自己治療のために使って成功している人が多いという。世代が断絶した形でサイケデリック・ルネサンスが起こっています。
そんな、初めてサイケデリック体験をした三十代ぐらいの男女が、学外から研究室に集まってくるようになったのですが、しかし、多くはうつ症状の自己治療ではなく、瞑想やシャーマニズムの探求に関心がある人たちで、『彼岸の時間』を執筆した当時の私の年齢やライフステージと重なるような人たちでした。
高学歴ではありますが、大きな組織に属していない、未婚で比較的自由に生きている、という偏りがありましたね。
年齢的に今後、定職に就いて家庭を持つべきか、定職に就けないなら出家しようかとか、かつての私が抱えていた葛藤に共鳴するような人が、『彼岸の時間』を執筆していたときの私に会いにきたのではないか、と。
染矢:定職に就いて家庭を持つべきか、それとも出家か、というのは極端な選択ですよね。普通に生きていると、あまり出家という選択肢は出てこないと思うのですが、やはりサイケデリック体験をしたからこそ、違う生き方を模索し始め、社会の枠組みに違和感を持つようになった、というのが大きいでしょうか。
世代的に、いい大学を出て、いい会社に就職して、いい家庭を築いて…という古い幸福観を、はなから信じていない人が多いというか。価値観の多様化もその背景にありそうですね。
蛭川:そうでしょうね。彼らが生きる時代背景、そしてサイケデリックスによる体験が大きいと思います。
私自身は若いころにアマゾンのシャーマンのところへ行ってアヤワスカを飲んだり、その体験の意味を知りたくてタイでちょっとだけ出家をしたりもしました。三十代のころは私も悩みました。サイケデリックスや瞑想の世界、内面世界を探求していくあまりに、徐々に普通の人間社会から遊離していってしまいましたから…。
とはいえ自分も高学歴でしたし、葛藤の中で考えながら、三十代のころには結婚して、東京で大学教授という職に就いたわけです。
しかし、それから二十年、サイケデリック世界の探究を止めてからののほうが、うつは慢性化し、離婚したり、大学での仕事も「気分障害」の療養という理由で休職、さらには精神科病院に入院したり、それをきっかけに精神医学の当事者研究を始めたり、でしたから。
サイケデリックスに副作用があるとすれば
孤高の暮らしがしたくなること…
蛭川:サイケデリックスには、依存性があるとか精神病を引き起こすということではなくて、世俗を離れた心の平安をもたらす反面、近代社会から遊離しがちになるという意味での副作用があるとはいえます。
神秘体験を探求していくと、世俗を離れて、山の中で孤高の暮らしをしたくなるような気持ちになりがちです。世俗化された資本主義社会が超越的な経験を抑圧することで成り立っている(絵本P20-21参照)、つまりは近代社会全体がうつ病になっているともいえます。社会的に不適応だからうつ病になるのではなく、社会に適応しすぎて、うつ病になってしまうというシステムなんですね。
絵本の中でもサイケの精霊たちが住んでいる森はふつうの人間が入りこむと迷ってしまう場所で、DMTの精霊アヤールを追いかけて行って、森の中に迷い込んでしまった先生が倒れているところを発見されるという展開になっています(絵本P75参照)。
でも、それなりに社会人としての生活を続けて、うつを悪化させてしまったからこそサイケデリックスの新しい、抗うつ薬としての側面を再認識できたともいえます。

染矢:うつ病というのは本当に辛いかと思いますが、お話を伺い、社会のなかでの不調を経て、まさに今、ご自身の研究の伏線回収をしている真っ只中という感じがしました。
私自身がサイケデリックスのことを知ったのは、2022年に青井硝子さんの書籍『あるがままに酔う』(ビオ・マガジン)の編集を担当したことがきっかけです。それで、興味を持ち、サイケデリックスをテーマにした本を作りたい、と蛭川先生の研究室に伺いました。
蛭川:2022年は、日本における、サイケデリックスのゴールドラッシュの始まりだったのかもしれません。当時、私自身はうつ病で休職していて、自宅に引きこもり状態で、ベッドから起き上がるのも大変で、一日中、布団の中でスマホを使っているだけ、といった日も少なくありませんでした。療養に専念するためですから、一年間、大学には出勤しないのが原則でした。
教授がうつ病で研究室も閉店しているのに、蛭川研究室が日本のサイケデリックス研究の最先端だという情報が広がったようで、一週間に一人ぐらいの割合で、合計で三十人ほどの人たちが訪れてきました。若いころの私が世界中を飛び回って研究をしていたことが、二十年ぐらい遅れて伝わったことが大きかったようです。その時間差に、どう対応していいのやら悩んだのですが、大学での研究室とは別に、知人宅の一室を提供してもらって、私塾のような集まりを開いたこともありました。染矢さんもそのうちの一人でした。
染矢:DMTea裁判が始まった2020年にマイケル・ポーランの『幻覚剤は役に立つのか』(亜紀書房)が日本でも出版され、2022年にはそのドキュメンタリー番組『心と意識と:幻覚剤は役に立つのか』がネットフリックスでも配信されるようになりました。
2020年以降は、外資系のビジネス誌やサイエンスマガジンなどでも、「サイケデリックス」の記事を目にする機会が増え、サイケデリックス=危険ドラッグというイメージから、抗うつ薬や向知性薬、さらにターミナルケアに役立つ薬という印象に変わり、興味を持つ層が増えたのではないかとも思います。
インド哲学をベースに
テトラくんの物語が誕生した
染矢:私自身は、そもそもサイケデリックスに対する偏見を抱きようもないほど、まったく知識がなかったのですが…。だから、かえって新鮮といいますか、こんな世界があったのか!と、無邪気に魅了されていきました。もしかしたら、私のような人も多いのではないかと思います。
そして、先生に取材をするうちに、サイケデリックスによって体験するのは、インド哲学的な世界に近いとういうことがわかり、また大麻草とインドの関係(絵本P67参照)について知れたことで、さらに興味がそそられました。大学時代、インド哲学を専攻していたので、その頃の記憶も蘇ってきて。数十年ぶりに『バガヴァッドギーター』を本棚から引っ張り出してきて読みかえすうちに、絵本に登場するTHC、テトラヒドロカンナビノールの精霊、テトラくん構想がものすごく膨らんでいきました。
テトラくんを、『バガヴァッドギーター』に登場するクリシュナ神に見立てて体を青くしたり、クリシュナ神のアトリビュートとして描かれる横笛をテトラくんにも持たせてみたり。クリシュナ神はバクティ運動で人々を陶酔させる神様でもあるので、そこもTHCの陶酔作用と重なり、それでテトラくんを人気アイドルにして、奏でる笛の音に陶酔作用があるという設定にしたのでした(笑)。

インドで最も人気のヒンドゥー教の神様「クリシュナ」。バーンスリー(横笛)の名手でその音色と美貌で女性を陶酔させる、まさに国民的アイドル。クリシュナへの帰依、信愛(バクティ)によって、誰もが救われるとした宗教運動の一つが「バクティ運動」。
蛭川:私もインドやネパールで調査をしましたが、大麻というのはアサのことですね。昔から、インドから日本にかけて自生している植物で、その精神作用はサイケデリックスと似ていて、ヨーガやインド哲学の世界と関係が深いんですよね。
絵本のなかでは、カンナビノイドの主役テトラくんと、サイケデリックスの主役ゾルゲンキンドの関係を、インド哲学と西洋哲学の対話として描きました(絵本P58-59参照)。
P55にサンスクリット語のデーヴァナーガリー文字で呪文のようなものが書かれているのですが、これは、インドに伝わる奥義書『ウパニシャッド』文献群のひとつ『ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッド』に記されたソーマ(サイケデリックスを有効成分とする薬草)に捧げられる讃歌です。ゆるい絵本のようですが、じつは西洋哲学に加えて、さらにインド哲学の世界観もしっかり描き込んでいます。

asato mā sadgamaya, tamaso mā jyotirgamaya, mṛtyormāmṛtam gamaya.(我を仮構から現実へと導け。我を闇から光へと導け。我を死から不死へと導け。) ※日本語は、著者による超訳
ソーマに捧げられる讃歌
出展:YouTube(Reema Teena)
蛭川:2023年ごろは合法カンナビノイド、合法LSDで健康被害が起こったと報道されて、そして規制されてはまたちょっと構造の違う物質が合法的に流通して…といういたちごっこが問題にもなっていた時期でしたし、DMTea裁判と並行して大藪大麻裁判※ の弁護活動もしていたので、大麻草と合法カンナビノイドの物語にも相当なページ数を割きました。
THCの精霊テトラくんが、違法と決めつけられて逮捕されたり。薬物に翻弄される人間の物語ではなく、人間に翻弄される薬物の物語を描きたかったんです(絵本P54-62参照)。アルコールに依存して堕落する人間の姿ではなく、人間に依存して堕落するアルコールの姿も描きました(絵本P42-49、114ー118参照)。
染矢:ちょうどその頃、蛭川先生は合法LSDアナログの製造元とコンタクトを取られていましたよね。
蛭川:製品の成分証明書から辿って、オランダから輸入されていることがわかりました。製造元とコンタクトをとってみたところ、あんがい簡単に連絡がとれて、じっさいに分子を設計しているラボの人たちと英語でオンライン通話ができました。いかにも頭の切れる研究者といった雰囲気の男性たちで、違法薬物の売人という雰囲気はぜんぜんなかったですね。むしろ合法な物質を開発しているのに不法な捜査を受けたことがあると訴えていました。
構造が少しずつ違う分子を作ることで、薬理作用が微妙に異なる物質を作れるのが非常に興味深い、お金儲けにはならないけれど、好奇心半分、使命感半分でやっているという感じでした。いくら合法で、成分を証明したとしても、使う人の安全性は保障できないのですけどね。彼らは日本での法律についてもよく知りません。作るのも使うのも個人の自由、自己責任でどうぞ、というのは、いかにもオランダ的な考えかただなあとも思いました。
かりに合法的に流通しているとしても、紙や錠剤には本当はどんな成分が含まれているのかは、使う人にはわかりません。成分がよくわからないものを試したり、セッティングの知識なしに摂取したりする人が増えているようですが、これは非常に危ういですね。規制する法律も、手続きを省略してどんどん変えられています。1960年代の再来といった状況ですが、背景にあるのがカウンター・カルチャーではなく、今は、うつ病の当事者という使用者層が主役という違いがあります。
…続く
※この記事は、違法薬物の所持・使用を推奨するものではありません。薬物の所持・使用については、当該国の法律・政令に従ってください。ただし、法律は地域と時代によって変わるもので、科学的な根拠に基づいているとは限りません。法律の制定の手続きが正当な議論を経ていないこともあります。
※大藪大麻裁判(P.64):陶芸家の大藪龍二郎さんが大麻取締法違反(所持)の罪に問われた裁判。情状酌量と減刑を乞うのではなく、法律自体の違憲性、大麻の有害性、捜査の違法性などを争点とし、真っ向から検察側、そして国と戦う姿勢を貫く。2024年の大麻取締法改正を跨いでの裁判ということもあり、社会的にも大きな注目を集める。一方の検察側は、過去の大麻裁判同様、弁護側のすべての証拠や証人を却下。2021年8月8日の逮捕から、前橋地裁と東京高裁での約3年半の公判を経て、いよいよ舞台は最高裁へ。検察側は、このまま逃げ切れるのか…。
- SORGENKIND
- 1月17日
- 読了時間: 18分
更新日:3月24日

「サイケデリックスは深い神秘体験を引き起こすもので、特定の精神疾患の治療薬として矮小化すべきではない」と考えていた著者が、本書の執筆過程で、サイケデリックスが抗うつ薬として使えることを実感。いまはうつ病当事者としてサイケデリックス研究に取り組んでいます。
編集後記第一弾は、担当編集との対談から執筆背景を振り返ります。
構成◉染矢真帆
サイケデリックスを追いかけ
サイケデリックスに救われる!?
染矢:『ゾルゲンキンドはかく語りき』が出版されて、あっという間に半年近くが経ちました。本書は精神活性物質の精霊が主体なので、人間があまり登場しません。著者である蛭川先生についても、ほとんど触れず、いきなりサイケデリックスや、アルコール、カフェインの精霊たちが登場します。最後は主人公であるLSDの精霊ゾルゲンキンドが警察官に向かって、難しい哲学用語を畳み掛け、自転車に乗ってヒュ〜ッと街へと姿を消すシュールな1冊です。
蛭川:本当は「あとがき」を書きたかったのですが、思うように筆が進みませんでした。うつ病だとか、睡眠障害で、あまりいい文章が書けなかったのは事実ですが、そんな後書きを書いてもただの言い訳になってしまいますし。
染矢:なので、出版からずいぶんと日が経ってしまいましたが、今日は改めて、「あとがき」というか「編集後記」的に、振り返りができればと思い、半年ぶりに研究室へ伺いました。なにしろ企画から出版まで約2年もの歳月がかかりましたからっ!色々と物語があります。
蛭川:はい。そうでしたね。2年弱かかってしまいました。なかなか締め切りを守れなかったのですよね…。とくに2023年の11月から2024年の2月にかけては冬眠状態になってしまい、ご迷惑をおかけしました。
染矢:こちらこそ先生にはご負担をおかけしました。実は、持病の「うつ病」を抱えながらの執筆だったのですよね。
蛭川:はい。そうなのです。もともと興味のあることに熱中しすぎて、後から疲れて寝込んでしまったり、そういう波のある性格ではあったのですが、大学に入って一人暮らしを始めたころから体が重くなって一日中ベッドから起き上がれなかったりすることが多くなって…それが「うつ病」なのかどうか、はっきりわからないままなのですが。
昔は「躁うつ病」といわれていたものが単極性の「大うつ病」と双極性の「双極性障害」に分けられて、その「双極性障害」は「双極症」と名前を変えるとか、全部まとめて「気分障害」というとか…自分でもいろいろな診断を受けてきましたが、慎重な精神科医ほど病名をはっきり断定しないんです。新しい薬を試してみて効けばいいし効かなければ別の薬に変えてみるという試行錯誤です。
精神医学では生物学的アプローチが盛んになり、精神疾患を神経系の病気とみなし、分類をやり直したり病気の名前を変えたりという作業を何度も何度も続けてきたわりには、それぞれの病気の原因は脳のどこにあるのか、どこに作用する薬で治せるのかという決定的な方法をなかなか見いだせていないのが現状です。
大学院で生物学と人類学を専攻した後ぐらいですが、1990年代は調子のいい時期でした。そして2004年に明治大学の新学部に着任するまでは世界各地を飛び回り、中南米を中心に、伝統社会の中で使われるサイケデリック物質について研究をしていました。大学での仕事が忙しくなってからはあまり海外調査にも行かなくなり、疲れてウツっぽくなっては抗うつ薬を飲んで元気を取り戻し、また元気がなくなったり…というのを繰り返すようになってしまったんです。
編集後記の企画では、私の現状というか、過去二十年の歴史を振り返りながら、かつては人類学的にサイケデリックスの研究をしていた学者が、抗うつ薬としてのサイケデリックスに再会し、うつ病当事者として研究をすることになってしまったという、その背景についてお話しできればと思います。
『ゾルゲンキンドはかく語りき』は、サイケデリック・ルネサンス※1の波が、日本にもやってきた時期に取り組み始めた企画でした。しかし、まだその頃は、サイケデリックスがうつ病に効く、というのは、にわかに信じがたい話でした。
染矢:先生は、2020年より青井硝子さんのDMTea裁判※2の弁護活動もされていましたが、その事件の発端となった、青井さんのお茶を飲んだ大学生は、サイケデリック体験によって希死念慮を治癒させました。まさにサイケデリック・ルネサンスを象徴するような事件だったと思うのですが。
蛭川:確かに、この裁判のために資料を集めていく中でサイケデリックスにうつ病や希死念慮を治癒する効果があるという研究が、世界的に進んでいることを知りました。しかし、その意味がよくわからなかったんです。サイケデリックスは深い神秘体験を引き起こすもので、その副作用みたいな形で希死念慮も治ってしまうかもしれない。法廷闘争や合法化のためには、「治療抵抗性うつ病」だとか、まずは致命的な難病の治療薬として承認させていくというのは政治的な戦略としてはわかりますが、特定の精神疾患の治療薬としてサイケデリック体験を矮小化すべきではないとさえ考えていましたから。
LSD研究論文の年次推移

思考の枠組みを超えて
閃くアイデア、煌めく創造力
染矢:先生のなかで、うつ病治療とサイケデリックスが結びついたきっかけは何だったのでしょうか。
蛭川:2022年の秋、慢性的な倦怠感に悩まされていたころ、他大学の卒業生が研究室に持ってきた1V-LSD※3のサンプルとの出会いです。LSDとほぼ同じ構造の物質なのに、ちょっと構造が違うので合法で、Amazonとか、ネットでふつうに売られているというのを聞いて驚きました。
世界中でいろいろな薬草の実物を見てきたので、キノコやサボテンみたいな植物なら見ればわかりますし独特の匂いや味もあります。でも合法LSDというのは小さい切手みたいな正方形の紙です。何がどれだけ含まれているのかわかりません。怪しいなあ…と思ったのですが、たくさんの人たちが摂取して、いかにもLSDらしい、典型的なサイケデリック体験をしているというんです。
とりあえずは手元の試薬で簡易検査をしてみて、LSDに似た物質らしい、変な混ぜ物は含まれていない、ということはわかりましたが、サイケデリック作用については、これはもう自分で体験してみて確かめるしかありません。最初は慎重に、ほんの少量ずつを試してみました。含有量も不明ですが、目分量で小さく切って20μgとか40μgとか、ビジョンを見たり神秘体験をしたりする量ではないのですが、摂取してしばらくすると、なぜか重たく固まっていた心身がスーッと軽くなるという作用を感じたのです。ウツが慢性化して片付けるのも面倒で散らかり放題だった部屋を急に掃除したくなったり。部屋を片付けると心も整っていくんです。
SSRIが効いたときの感覚にも似ていました。でもSSRIなら毎日飲み続けて何週間もしないと効き目が実感できないんです。このとき初めてサイケデリックスが即効性の抗うつ薬にもなりうることを自分なりに実感し、驚きました。セロトニンの不足を補うという意味では同じメカニズムなのかもしれません。
アマゾンでは何十回もアヤワスカを飲みましたが、シャーマンから手渡されるままにフルドーズの量を飲まされて深い神秘世界を体験してきました。少量だけ摂取するなんていう飲み方はしていませんでしたし、自分がうつ病をこじらせていたタイミングだったからこそ少量でも抗うつ作用も良く感じられたのかなと。このことはちゃんと精神科の主治医にも相談しましたが、先生も驚いていました。
染矢:確か、私が企画を持ち込んだ直後ではなかったかと。「本を1冊書くのは厳しい」とおっしゃっていた先生が、いきなり原稿の草案をダァァァ〜ッと送ってきたので何事かと驚いたとのを覚えています。
蛭川:そうなんです。心身が軽くなって、そしてクリエイティブなアイデアがどんどん浮かんできました。学者として書籍を書くとなると、論理的な文章を何万文字も書かなくてはいけない。でも今はできそうにないと思い込んでいたんですね。
なにか原因となるストレスがあって気分が憂うつになるというのはふつうのことで病気ではありません。自分が感じている「うつ状態」というのは、脳の病気としての「うつ病」というのか…何事も重たく考えすぎて脳が疲れてしまった状態です。
本を一冊書くとなると、論文を何本も書くのと同じぐらいしっかり書かなければいけない、そんなのは無理だ、ウツが悪化して途中で書けなくなったらどうしよう、一冊書き下ろしなんて約束できない、今は仕事を休むべき時なんじゃないのか、責任を持てない、そんな仕事は絶対無理だと、無駄にグルグルと考えすぎて脳が固まってしまう感じです。本当は自分の興味のあることについて本を書くのは楽しいことのはずなのに、楽しいという気持ちよりも大変な仕事だというネガティブな責任感のほうが重圧になってくる。セロトニンとか脳内物質のバランスが崩れて思考と情動の回路がショートして止まらなくなってしまう病気なんですね。そういう神経の不調に対してはセロトニンを増やすとか、薬物療法が効くんです。
合法LSDアナログを試してみて、そのグルグルのネガティヴ思考パターンから抜けたと言いますか。それがきっかけで、御伽話のような展開で、短い物語が断片的に繋がっている構成ならできるかもしれない、と閃いたんですよ。試しに手を動かしてみたら、するすると書けるんです。
例えば…
ゾルゲンキンドの誕生日は4月19日です。
ゾルゲンキンドはスイスで生まれました。
ゾルゲンキンドはドイツ語を話します。
時々フランス語も話します。
…といった具合に。
こんな文体、普段は書かないですし、書こうと思ったこともありませんでした。
ついでに紙に鉛筆で四角い枠を描いて、その中に「LSD」と書いてみたら、目と口のある顔に見えてきたり…それに髪の毛を生やして手足を描いたのが主人公、ゾルゲンキンドの誕生でした。
一時的に軽躁状態になったのかもしれませんが、でも、まただんだんと体が重くなって、文章を考えたくても考えられない、脳が空回りして固まって眠ってしまうような感じに戻ってしまいました。

サイケデリックス同様、
抗うつ薬の"神秘"に魅せられて
染矢:物語を最初に書き上げたのが2022年の秋から2023年の冬にかけてでしたね。
蛭川: はい。実は、2022年というのはうつ病が悪化して休職しているタイミングだったのです。先ほどもお話ししましたが、2004年ごろからウツの繰り返しはありました。振り返ると2000年代というのは新しい抗うつ薬が次々と市場に登場したときでした。うつ病は脳内のセロトニンが不足する病気だという仮説にもとづき、そのセロトニンの不足を補うという新薬SSRI、ルボックス、パキシル、ジェイゾロフト、レクサプロと、私じしんも新しい抗うつ薬が出てくるたびに医者と相談しながら試したものでした。しかし、SSRIにはたしかに効果はあるのですが、吐き気などの副作用がキツいのに何週間もしないと効いてこない。もう治ったかなと思って薬を止めると、しばらくしてまた何かのきっかけでウツが再発してしまうんです。
染矢:そうした中で、大学のお仕事を続けられていたのですね。
蛭川:再発しては新薬を試して様子を見て…というのを繰り返しながら、仕事はずっと継続していました。
2013年度、2014年度は、在外研究制度でイギリスとオーストラリアの大学で心理学と哲学を勉強しましたが、現地でも精神科に通って睡眠薬を処方されていました。
当時は海外でもサイケデリックカルチャーの担い手は高齢化し、逆に若者は保守化するという状況にあり、それが世界的な状況なのだと知りました。学会に行ってもサイケデリック・ルネサンスのような状況はまだ起こっていませんでした。
帰国してからも睡眠障害は続きました。意欲はあるのに、朝がどうしても起きられない。そして、夜は眠れなくなってしまうのです。それで、病院に泊まり込んで睡眠の精密検査をするという目的で入院することにしたのが2017年です。睡眠の検査をするには1週間の入院が必要になるのですが、結局はっきりとした原因がわからず…。であれば、いっそのこと本格的に入院をしたほうがいいのではないかと思い始めてもいました。うつ状態も慢性化して治療しては再発を繰り返していましたから、このさい徹底的に検査して原因を突き止めたいと。MRIや光トポグラフィーなど最先端の研究に対する知的好奇心があり、その頃から私の研究テーマは「自分の病気を治すこと」になっていたんですね。
染矢:うつ病に悩みながらも「知的好奇心」が勝り、研究テーマにしてしまうというのは、さすが学者ですね。
蛭川:入院したのは「国立精神・神経医療研究センター(NCNP)」と「晴和病院」でしたが、それはトップレベルの医療を受けたいというのはもちろん、トップレベルの医学研究者たちと議論したいという思いがあったからなんです。どちらの病院も、かつてのLSD研究と関係があった場所でもあります。精神科の薬にも強い関心がありました。
染矢:精神に作用する薬への強い関心というのは、先生の専門分野でもあるアマゾンやメソアメリカの、サイケデリック物質を含む薬草を用いたシャーマニズム研究にも通ずるものがありそうですね。
蛭川:そうなんです。シャーマニズムに対する関心も精神医学の薬物療法に対する関心も、単純な分子構造をもつ物質が神経系に作用して、なぜ人間の意識を大きく変えてしまうのか、神秘体験をもたらすのかということにずっと興味がありました。新しい抗うつ薬が出てくるたびに試したり、新しい睡眠薬が出てくるたびに試したり、精神科の薬も一通り試してきましたが、これもサイケデリックスを探求してきた動機と同じです。「単純な分子」が意識を変えてしまうことに神秘を感じるのです。
うつ病・躁うつ病の総患者数

男女年齢別総患者数(2020年10月時点)

アマゾンの森から
東京の精神病棟の森へ
染矢:うつ病当事者研究としての入院は、どのような体験になったのでしょうか。
蛭川:病棟は小さな社会のような場所で、その中で老若男女、三十人ぐらい、様々な病気の人たちが一緒に生活しているということがよくわかりました。単極性のうつ病と双極性障害、統合失調症…などの患者さんたちが、どういう経緯で入院してきて、どんな治療を受けて、どんなことを感じながら生活しているのか。たくさん話をしました。心理士や精神科医、看護師などスタッフの方々とも議論を繰り返し、結果としてそれが、私じしんにとっての、いい治療になりました。
振り返ると入院中はとても健康的な日々でした。拘束されて自由な人権を奪われるというイメージの強い精神科病院ですが、じつは管理されて自由がないぶんだけ規律正しい生活ができてしまう、それが「治療」というシステムの基本になっている。食事も簡素で決められた時間に決められたメニューしか食べられないのですが、栄養はきちんと計算されています。
2017年ごろは、SSRIに始まった新しい抗うつ薬もマイナーチェンジが続くだけで創薬も行き詰まっていました。魚を食べてオメガ3脂肪酸を摂って脳に栄養を補給するのがいいとか、乳酸菌飲料を飲んで腸を整えると脳も整うとか、間接的なアプローチが試行錯誤されていました。
逆に若手の精神科医たちからは、かつて流行として消費されたフーコーやラカンなどのフランス現代思想が再評価されているという話を聞いたり、それがきっかけで昔ながらのドイツ精神病理学の本を読み返したり、そこで学んだことがゾルゲンキンドの物語の思想的背景にもなっています。
しかし、そういう薬物療法の行きづまりという状況の中で、昔から麻酔薬として使われてきたケタミンが、じつは即効性の抗うつ薬として再注目されているとか、精神科治療薬の数十年ぶりの革命だとか、もうイギリスでは処方が始まるとかいう、そんな話も病棟での先生たちとの雑談の中で話題になり始めていました。
入院中に気分障害研究の最先端についてスタッフと議論しつづけて、退院後は国立精神・神経医療研究センターの入院患者から客員研究員に昇格してさらに当事者研究を続けることになってしまったのですが、それがその後、抗うつ薬として復活してきたサイケデリックスと運命的に再会するための伏線になっていたんですね。
染矢:うつ状態になると、一人で静かにしたくなりそうなものですが、先生は積極的に議論をしたり、患者さんともコミュニケーションを図るなど、意外とアグレッシブに過ごしていたのですね。
蛭川:私の場合は、むしろ人とコミュニケーションを取らないと辛くなるというか、生きがいがなくなってしまうということがわかりました。入院中は、日々、誰かとコミュニケーションを取ることができましたから、それがとても支えになりましたね。
入院患者どうしでお互いの話を聞き合ったり、医師や看護師や心理士の人たちと議論したり、じつはそういうふつうの共同生活が最先端の検査機器や薬物療法よりも結果的にいい治療にもなりましたし、臨床現場での研修にもなりました。
資本主義社会から疎外された人たちが精神科病院というシステムの中で治療されてゆく過程を参与観察したというか、結果的に医療人類学的フィールドワークになってしまいました。
染矢:病気への知識がない人が「うつ病」と聞くと、ゆっくり休養するのがいいのではないか、と感じてしまいますが、一概にそうとも言えないのですね。
蛭川:定型的なうつ病、メランコリー型とも言いますが、嫌な仕事でも我慢して頑張りすぎてしまう、体力的に無理でも仕事を休むのは無責任だと考えて余計に自分を責めてしまう、真面目すぎる性格の人が多いんです。そういう人はとにかく休んだ方がいいので、多くの企業では、過労で倒れる人を守ることが最優先事項になってきました。つまり「うつ病」と診断されたら、休職して、場合によっては入院して治療してもらう、しっかり治療してもらってから復職してもらう、というのが職場のメンタルヘルスとして認識されるようになってきたんですね。
それで私も2018年、職場のほうから先に提案があったのですが、自分も自覚していないうちに無理をしていたのかもしれないと思い、休職させてもらうことになりました。
私じしんは大学での仕事が嫌いなわけでも、過労でウツになったわけでもなく、働きたかったんですけれどね。でも、どうにもこうにも布団から起き上がれない日々が続き…仕事に遅刻してしまう…。そしてじつは休職すること自体では回復にはならないことがわかりました。定型的なうつ病ではないからなのかもしれませんが、むしろ、やりがいのある仕事ができなくなることで、余計に引きこもって固まってしまうんです。
染矢:そして2019年に復職されたのですよね。
蛭川:はい、やはり仕事をするほうが元気になれました。ところがその翌年、2020年に新型コロナウイルスの感染拡大で緊急事態宣言、大学の建物は一年半も閉鎖されてしまいました。外出自粛、在宅勤務で生活のリズムも狂ってしまい、研究室での活動もできなくなりゼミ生もうつ病になってしまったりで、大変でした。
疲れが後から出てきて、2022年度にまた療養のための休職となってしまいました。頑張って資料を整理して支援していたDMTea裁判も有罪判決が出てしまい、途方に暮れていました。そのときですね、本の企画が持ち込まれたのが。
この時期、社会全体に不安が蔓延し、仕事が行き詰まったり、社会的に孤立してしまう人たちが増えて、日本でもそれまでずっと減少傾向にあったうつ病や自殺が2020年からまた増加に転じました。その背後で抗うつ薬としてのサイケデリック・ルネサンスが加速していたんですね。
精神障害による労災認定数の推移

…続く

※1 サイケデリック・ルネサンス:1970年代に規制されて以降、長らくタブーとされてきたLSD、シロシビン、MDMAなどの精神展開薬(サイケデリック)が、近年、精神医学や神経科学の分野で治療薬としての可能性が再評価され、研究や臨床応用が活発化している現象のこと。
※2 DMTea裁判:作家である青井硝子氏が、向精神作用のある日本に自生しているDMTを含む薬草茶を販売したとして麻薬及び向精神薬取締法違反幇助容疑で逮捕されたことで始まった裁判。裁判のきっかけとなった、DMTのお茶を飲んだ大学生は、うつ病を治したことでも注目されており、「精神医学の最先端」が議論されている裁判。2020年6月に京都地裁で始まり、2022年9月26日、懲役3年、執行猶予5年の判決が下されたが、青井被告は控訴し、大阪高裁で2023年4月18日に控訴審が始まったが、結論は最高裁まで持ち越される可能性が高く、その点でも注目すべき裁判である。
※3 1V-LSD:2022年の秋時点では未規制だったLSDアナログ(LSDと類似の構造と作用をもつ物質のこと)の一種。規制されたのは2023年3月。1V-LSD以外にも、LSDアナログは多数存在し、日本での流通も増えているが、規制されては新規物質が生まれて、というイタチごっこを繰り返している。国によって規制事情は異なる。