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vol.1 サイケデリック・ルネサンスとの合流。哲学物語の誕生。               

執筆者の写真: SORGENKINDSORGENKIND

更新日:1月25日



「サイケデリックスは深い神秘体験を引き起こすもので、特定の精神疾患の治療薬として矮小化すべきではない」と考えていた著者が、本書の執筆過程で、サイケデリックスが抗うつ薬として使えることを実感。いまはうつ病当事者としてサイケデリックス研究に取り組んでいます。


編集後記第一弾は、担当編集との対談から執筆背景を振り返ります。

 


構成◉染矢真帆

 

サイケデリックスを追いかけ

サイケデリックスに救われる!?


染矢:『ゾルゲンキンドはかく語りき』が出版されて、あっという間に半年近くが経ちました。本書は精神活性物質の精霊が主体なので、人間があまり登場しません。著者である蛭川先生についても、ほとんど触れず、いきなりサイケデリックスや、アルコール、カフェインの精霊たちが登場します。最後は主人公であるLSDの精霊ゾルゲンキンドが警察官に向かって、難しい哲学用語を畳み掛け、自転車に乗ってヒュ〜ッと街へと姿を消すシュールな1冊です。

 

蛭川:本当は「あとがき」を書きたかったのですが、思うように筆が進みませんでした。うつ病だとか、睡眠障害で、あまりいい文章が書けなかったのは事実ですが、そんな後書きを書いてもただの言い訳になってしまいますし。


染矢:なので、出版からずいぶんと日が経ってしまいましたが、今日は改めて、「あとがき」というか「編集後記」的に、振り返りができればと思い、半年ぶりに研究室へ伺いました。なにしろ企画から出版まで約2年もの歳月がかかりましたからっ!色々と物語があります。

 

蛭川:はい。そうでしたね。2年弱かかってしまいました。なかなか締め切りを守れなかったのですよね…。とくに2023年の11月から2024年の2月にかけては冬眠状態になってしまい、ご迷惑をおかけしました。

 

染矢:こちらこそ先生にはご負担をおかけしました。実は、持病の「うつ病」を抱えながらの執筆だったのですよね。

 

蛭川:はい。そうなのです。もともと興味のあることに熱中しすぎて、後から疲れて寝込んでしまったり、そういう波のある性格ではあったのですが、大学に入って一人暮らしを始めたころから体が重くなって一日中ベッドから起き上がれなかったりすることが多くなって…それが「うつ病」なのかどうか、はっきりわからないままなのですが。


昔は「躁うつ病」といわれていたものが単極性の「大うつ病」と双極性の「双極性障害」に分けられて、その「双極性障害」は「双極症」と名前を変えるとか、全部まとめて「気分障害」というとか…自分でもいろいろな診断を受けてきましたが、慎重な精神科医ほど病名をはっきり断定しないんです。新しい薬を試してみて効けばいいし効かなければ別の薬に変えてみるという試行錯誤です。


 精神医学では生物学的アプローチが盛んになり、精神疾患を神経系の病気とみなし、分類をやり直したり病気の名前を変えたりという作業を何度も何度も続けてきたわりには、それぞれの病気の原因は脳のどこにあるのか、どこに作用する薬で治せるのかという決定的な方法をなかなか見いだせていないのが現状です。

 

大学院で生物学と人類学を専攻した後ぐらいですが、1990年代は調子のいい時期でした。そして2004年に明治大学の新学部に着任するまでは世界各地を飛び回り、中南米を中心に、伝統社会の中で使われるサイケデリック物質について研究をしていました。大学での仕事が忙しくなってからはあまり海外調査にも行かなくなり、疲れてウツっぽくなっては抗うつ薬を飲んで元気を取り戻し、また元気がなくなったり…というのを繰り返すようになってしまったんです。

 

編集後記の企画では、私の現状というか、過去二十年の歴史を振り返りながら、かつては人類学的にサイケデリックスの研究をしていた学者が、抗うつ薬としてのサイケデリックスに再会し、うつ病当事者として研究をすることになってしまったという、その背景についてお話しできればと思います。

 

『ゾルゲンキンドはかく語りき』は、サイケデリック・ルネサンス※1の波が、日本にもやってきた時期に取り組み始めた企画でした。しかし、まだその頃は、サイケデリックスがうつ病に効く、というのは、にわかに信じがたい話でした。

 

染矢:先生は、2020年より青井硝子さんのDMTea裁判※2の弁護活動もされていましたが、その事件の発端となった、青井さんのお茶を飲んだ大学生は、サイケデリック体験によって希死念慮を治癒させました。まさにサイケデリック・ルネサンスを象徴するような事件だったと思うのですが。

 

蛭川:確かに、この裁判のために資料を集めていく中でサイケデリックスにうつ病や希死念慮を治癒する効果があるという研究が、世界的に進んでいることを知りました。しかし、その意味がよくわからなかったんです。サイケデリックスは深い神秘体験を引き起こすもので、その副作用みたいな形で希死念慮も治ってしまうかもしれない。法廷闘争や合法化のためには、「治療抵抗性うつ病」だとか、まずは致命的な難病の治療薬として承認させていくというのは政治的な戦略としてはわかりますが、特定の精神疾患の治療薬としてサイケデリック体験を矮小化すべきではないとさえ考えていましたから。


LSD研究論文の年次推移

サイケデリックスが国際的に規制された1970年代以降、研究はいったん衰退したが、1990年代から復活。以降一貫して増加し、2010年代には過去の最盛期を上回った。これを「サイケデリック・ルネサンス」という。/出典:『The Psychedelic Renaissance: Reassessing the Role of Psychedelic Drugs in 21st Century Psychiatry and Society: Second Edition』( Dr. Ben Sessa/2019,11,30)
サイケデリックスが国際的に規制された1970年代以降、研究はいったん衰退したが、1990年代から復活。以降一貫して増加し、2010年代には過去の最盛期を上回った。これを「サイケデリック・ルネサンス」という。出典:『The Psychedelic Renaissance: Reassessing the Role of Psychedelic Drugs in 21st Century Psychiatry and Society: Second Edition』( Dr. Ben Sessa/2019,11,30

 

思考の枠組みを超えて

閃くアイデア、煌めく創造力


染矢:先生のなかで、うつ病治療とサイケデリックスが結びついたきっかけは何だったのでしょうか。

 

蛭川:2022年の秋、慢性的な倦怠感に悩まされていたころ、他大学の卒業生が研究室に持ってきた1V-LSD※3のサンプルとの出会いです。LSDとほぼ同じ構造の物質なのに、ちょっと構造が違うので合法で、Amazonとか、ネットでふつうに売られているというのを聞いて驚きました。


世界中でいろいろな薬草の実物を見てきたので、キノコやサボテンみたいな植物なら見ればわかりますし独特の匂いや味もあります。でも合法LSDというのは小さい切手みたいな正方形の紙です。何がどれだけ含まれているのかわかりません。怪しいなあ…と思ったのですが、たくさんの人たちが摂取して、いかにもLSDらしい、典型的なサイケデリック体験をしているというんです。

 

とりあえずは手元の試薬で簡易検査をしてみて、LSDに似た物質らしい、変な混ぜ物は含まれていない、ということはわかりましたが、サイケデリック作用については、これはもう自分で体験してみて確かめるしかありません。最初は慎重に、ほんの少量ずつを試してみました。含有量も不明ですが、目分量で小さく切って20μgとか40μgとか、ビジョンを見たり神秘体験をしたりする量ではないのですが、摂取してしばらくすると、なぜか重たく固まっていた心身がスーッと軽くなるという作用を感じたのです。ウツが慢性化して片付けるのも面倒で散らかり放題だった部屋を急に掃除したくなったり。部屋を片付けると心も整っていくんです。

 

SSRIが効いたときの感覚にも似ていました。でもSSRIなら毎日飲み続けて何週間もしないと効き目が実感できないんです。このとき初めてサイケデリックスが即効性の抗うつ薬にもなりうることを自分なりに実感し、驚きました。セロトニンの不足を補うという意味では同じメカニズムなのかもしれません。

 

アマゾンでは何十回もアヤワスカを飲みましたが、シャーマンから手渡されるままにフルドーズの量を飲まされて深い神秘世界を体験してきました。少量だけ摂取するなんていう飲み方はしていませんでしたし、自分がうつ病をこじらせていたタイミングだったからこそ少量でも抗うつ作用も良く感じられたのかなと。このことはちゃんと精神科の主治医にも相談しましたが、先生も驚いていました。

 

染矢:確か、私が企画を持ち込んだ直後ではなかったかと。「本を1冊書くのは厳しい」とおっしゃっていた先生が、いきなり原稿の草案をダァァァ〜ッと送ってきたので何事かと驚いたとのを覚えています。

 

蛭川:そうなんです。心身が軽くなって、そしてクリエイティブなアイデアがどんどん浮かんできました。学者として書籍を書くとなると、論理的な文章を何万文字も書かなくてはいけない。でも今はできそうにないと思い込んでいたんですね。

 

なにか原因となるストレスがあって気分が憂うつになるというのはふつうのことで病気ではありません。自分が感じている「うつ状態」というのは、脳の病気としての「うつ病」というのか…何事も重たく考えすぎて脳が疲れてしまった状態です。

 

本を一冊書くとなると、論文を何本も書くのと同じぐらいしっかり書かなければいけない、そんなのは無理だ、ウツが悪化して途中で書けなくなったらどうしよう、一冊書き下ろしなんて約束できない、今は仕事を休むべき時なんじゃないのか、責任を持てない、そんな仕事は絶対無理だと、無駄にグルグルと考えすぎて脳が固まってしまう感じです。本当は自分の興味のあることについて本を書くのは楽しいことのはずなのに、楽しいという気持ちよりも大変な仕事だというネガティブな責任感のほうが重圧になってくる。セロトニンとか脳内物質のバランスが崩れて思考と情動の回路がショートして止まらなくなってしまう病気なんですね。そういう神経の不調に対してはセロトニンを増やすとか、薬物療法が効くんです。

 

合法LSDアナログを試してみて、そのグルグルのネガティヴ思考パターンから抜けたと言いますか。それがきっかけで、御伽話のような展開で、短い物語が断片的に繋がっている構成ならできるかもしれない、と閃いたんですよ。試しに手を動かしてみたら、するすると書けるんです。


例えば…


ゾルゲンキンドの誕生日は4月19日です。

ゾルゲンキンドはスイスで生まれました。

ゾルゲンキンドはドイツ語を話します。

時々フランス語も話します。


…といった具合に。


こんな文体、普段は書かないですし、書こうと思ったこともありませんでした。

 

ついでに紙に鉛筆で四角い枠を描いて、その中に「LSD」と書いてみたら、目と口のある顔に見えてきたり…それに髪の毛を生やして手足を描いたのが主人公、ゾルゲンキンドの誕生でした。



著者が走り書きした、「LSDの精霊」の閃き。尻尾が「1V」になっている。これが主人公「ゾルゲンキンド」の原案。この1点がアイデアの連鎖をうみ、次々に新たな精霊キャラが誕生していった。メモ用紙は睡眠薬「ルネスタ」のノベルティグッズで、ツキノワグマのゆるキャラ「ツキノワくん」のイラストが描かれている。
著者が走り書きした、「LSDの精霊」の閃き。尻尾が「1V」になっている。これが主人公「ゾルゲンキンド」の原案。この1点がアイデアの連鎖をうみ、次々に新たな精霊キャラが誕生していった。メモ用紙は睡眠薬「ルネスタ」のノベルティグッズで、ツキノワグマのゆるキャラ「ツキノワくん」のイラストが描かれている。


染矢:元々は、私が取材をして文字を起こしながら、サイケデリック物質のゆるキャラ図鑑のようなものを作ってみましょう、という話になったんですよね。出版社とも相談をして、その準備を進めていました。そうしたら想像の斜め上をいく、「物質物語」が、送られてきてっ!一瞬戸惑いましたが(笑)、いい意味で先生のゆるキャラな味わいが出ていて面白い、とほとんど修正をせず、全体の1/3程度の原稿は、あっという間に出来上がってしまいましたよね。

 

蛭川: はい。スタートは好調でしたね。一時的に軽躁状態になったのかもしれませんが、でも、まただんだんと体が重くなって、文章を考えたくても考えられない、脳が空回りして固まって眠ってしまうような感じに戻ってしまいました。

 

サイケデリックス同様、

抗うつ薬の"神秘"に魅せられて


染矢:物語を最初に書き上げたのが2022年の秋から2023年の冬にかけてでしたね。

  

蛭川: はい。実は、2022年というのはうつ病が悪化して休職しているタイミングだったのです。先ほどもお話ししましたが、2004年ごろからウツの繰り返しはありました。振り返ると2000年代というのは新しい抗うつ薬が次々と市場に登場したときでした。うつ病は脳内のセロトニンが不足する病気だという仮説にもとづき、そのセロトニンの不足を補うという新薬SSRI、ルボックス、パキシル、ジェイゾロフト、レクサプロと、私じしんも新しい抗うつ薬が出てくるたびに医者と相談しながら試したものでした。しかし、SSRIにはたしかに効果はあるのですが、吐き気などの副作用がキツいのに何週間もしないと効いてこない。もう治ったかなと思って薬を止めると、しばらくしてまた何かのきっかけでウツが再発してしまうんです

 

染矢:そうした中で、大学のお仕事を続けられていたのですね。

 

蛭川:再発しては新薬を試して様子を見てというのを繰り返しながら、仕事はずっと継続していました。

 

2013年度、2014年度は、在外研究制度でイギリスとオーストラリアの大学で心理学と哲学を勉強しましたが、現地でも精神科に通って睡眠薬を処方されていました。

 

当時は海外でもサイケデリックカルチャーの担い手は高齢化し、逆に若者は保守化するという状況にあり、それが世界的な状況なのだと知りました。学会に行ってもサイケデリック・ルネサンスのような状況はまだ起こっていませんでした。

 

帰国してからも睡眠障害は続きました。意欲はあるのに、朝がどうしても起きられない。そして、夜は眠れなくなってしまうのです。それで、病院に泊まり込んで睡眠の精密検査をするという目的で入院することにしたのが2017年です。睡眠の検査をするには1週間の入院が必要になるのですが、結局はっきりとした原因がわからず…。であれば、いっそのこと本格的に入院をしたほうがいいのではないかと思い始めてもいました。うつ状態も慢性化して治療しては再発を繰り返していましたから、このさい徹底的に検査して原因を突き止めたいと。MRIや光トポグラフィーなど最先端の研究に対する知的好奇心あり、その頃から私の研究テーマは「自分の病気を治すこと」になっていたんですね。

 

染矢:うつ病に悩みながらも「知的好奇心」が勝り、研究テーマにしてしまうというのは、さすが学者ですね。

 

蛭川:入院したのは「国立精神・神経医療研究センター(NCNP)」と「晴和病院」でしたが、それはトップレベルの医療を受けたいというのはもちろん、トップレベルの医学研究者たちと議論したいという思いがあったからなんです。どちらの病院も、かつてのLSD研究と関係があった場所でもあります。精神科の薬にも強い関心がありました。

 

染矢:精神に作用する薬への強い関心というのは、先生の専門分野でもあるアマゾンやメソアメリカの、サイケデリック物質を含む薬草を用いたシャーマニズム研究にも通ずるものがありそうですね。

 

蛭川:そうなんです。シャーマニズムに対する関心も精神医学の薬物療法に対する関心も、単純な分子構造をもつ物質が神経系に作用して、なぜ人間の意識を大きく変えてしまうのか、神秘体験をもたらすのかということにずっと興味がありました。新しい抗うつ薬が出てくるたびに試したり、新しい睡眠薬が出てくるたびに試したり、精神科の薬も一通り試してきましたが、これもサイケデリックスを探求してきた動機と同じです。「単純な分子」が意識を変えてしまうことに神秘を感じるのです。



うつ病・躁うつ病の総患者数

2000年以降うつ病が増え続けている。うつ病に対する社会認知が向上したことも関係しているが2000年以降、新しいタイプの抗うつ薬としてSSRIが国内で相次いで発売された時期とも重なる。製薬業界のマーケティングの影響か。2022年以降の増加は緊急事態宣言による経済的、心理的問題を反映している。/出典:厚労省「患者調査」
2000年以降うつ病が増え続けている。うつ病に対する社会認知が向上したことも関係しているが2000年以降、新しいタイプの抗うつ薬としてSSRIが国内で相次いで発売された時期とも重なる。製薬業界のマーケティングの影響か。2022年以降の増加は緊急事態宣言による経済的、心理的問題を反映している。/出典:厚労省「患者調査」

男女年齢別総患者数(2020年10月時点)

2020年の日本のうつ病(双極性障害も含む)の年齢別患者数。中高年層が多く、どの年齢層でも女性のほうが多い。女性は40代がピークだが、男性は50代がピーク。著者の年代とも重なる。男女ともに60代以降は減少傾向にある/出典:厚労省「患者調査」
2020年の日本のうつ病(双極性障害も含む)の年齢別患者数。中高年層が多く、どの年齢層でも女性のほうが多い。女性は40代がピークだが、男性は50代がピーク。著者の年代とも重なる。男女ともに60代以降は減少傾向にある/出典:厚労省「患者調査」

 

アマゾンの森から

東京の精神病棟の森へ

 

染矢:うつ病当事者研究としての入院は、どのような体験になったのでしょうか。

 

蛭川:病棟は小さな社会のような場所で、その中で老若男女、三十人ぐらい、様々な病気の人たちが一緒に生活しているということがよくわかりました。単極性のうつ病と双極性障害、統合失調症…などの患者さんたちが、どういう経緯で入院してきて、どんな治療を受けて、どんなことを感じながら生活しているのか。たくさん話をしました。心理士や精神科医、看護師などスタッフの方々とも議論を繰り返し、結果としてそれが、私じしんにとっての、いい治療になりました。

 

振り返ると入院中はとても健康的な日々でした。拘束されて自由な人権を奪われるというイメージの強い精神科病院ですが、じつは管理されて自由がないぶんだけ規律正しい生活ができてしまう、それが「治療」というシステムの基本になっている。食事も簡素で決められた時間に決められたメニューしか食べられないのですが、栄養はきちんと計算されています。

 

2017年ごろは、SSRIに始まった新しい抗うつ薬もマイナーチェンジが続くだけで創薬も行き詰まっていました。魚を食べてオメガ3脂肪酸を摂って脳に栄養を補給するのがいいとか、乳酸菌飲料を飲んで腸を整えると脳も整うとか、間接的なアプローチが試行錯誤されていました。

 

逆に若手の精神科医たちからは、かつて流行として消費されたフーコーやラカンなどのフランス現代思想が再評価されているという話を聞いたり、それがきっかけで昔ながらのドイツ精神病理学の本を読み返したり、そこで学んだことがゾルゲンキンドの物語の思想的背景にもなっています。

 

しかし、そういう薬物療法の行きづまりという状況の中で、昔から麻酔薬として使われてきたケタミンが、じつは即効性の抗うつ薬として再注目されているとか、精神科治療薬の数十年ぶりの革命だとか、もうイギリスでは処方が始まるとかいう、そんな話も病棟での先生たちとの雑談の中で話題になり始めていました。

 

入院中に気分障害研究の最先端についてスタッフと議論しつづけて、退院後は国立精神・神経医療研究センターの入院患者から客員研究員に昇格してさらに当事者研究を続けることになってしまったのですが、それがその後、抗うつ薬として復活してきたサイケデリックスと運命的に再会するための伏線になっていたんですね。

 

染矢:うつ状態になると、一人で静かにしたくなりそうなものですが、先生は積極的に議論をしたり、患者さんともコミュニケーションを図るなど、意外とアグレッシブに過ごしていたのですね。

 

蛭川:私の場合は、むしろ人とコミュニケーションを取らないと辛くなるというか、生きがいがなくなってしまうということがわかりました。入院中は、日々、誰かとコミュニケーションを取ることができましたから、それがとても支えになりましたね。


入院患者どうしでお互いの話を聞き合ったり、医師や看護師や心理士の人たちと議論したり、じつはそういうふつうの共同生活が最先端の検査機器や薬物療法よりも結果的にいい治療にもなりましたし、臨床現場での研修にもなりました。


資本主義社会から疎外された人たちが精神科病院というシステムの中で治療されてゆく過程を参与観察したというか、結果的に医療人類学的フィールドワークになってしまいました。


染矢:病気への知識がない人が「うつ病」と聞くと、ゆっくり休養するのがいいのではないか、と感じてしまいますが、一概にそうとも言えないのですね。

 

蛭川:定型的なうつ病、メランコリー型とも言いますが、嫌な仕事でも我慢して頑張りすぎてしまう、体力的に無理でも仕事を休むのは無責任だと考えて余計に自分を責めてしまう、真面目すぎる性格の人が多いんです。そういう人はとにかく休んだ方がいいので、多くの企業では、過労で倒れる人を守ることが最優先事項になってきました。つまり「うつ病」と診断されたら、休職して、場合によっては入院して治療してもらう、しっかり治療してもらってから復職してもらう、というのが職場のメンタルヘルスとして認識されるようになってきたんですね。


それで私も2018年、職場のほうから先に提案があったのですが、自分も自覚していないうちに無理をしていたのかもしれないと思い、休職させてもらうことになりました。


私じしんは大学での仕事が嫌いなわけでも、過労でウツになったわけでもなく、働きたかったんですけれどね。でも、どうにもこうにも布団から起き上がれない日々が続き…仕事に遅刻してしまう…。そしてじつは休職すること自体では回復にはならないことがわかりました。定型的なうつ病ではないからなのかもしれませんが、むしろ、やりがいのある仕事ができなくなることで、余計に引きこもって固まってしまうんです。

 

染矢:そして2019年に復職されたのですよね。

 

蛭川:はい、やはり仕事をするほうが元気になれました。ところがその翌年、2020年に新型コロナウイルスの感染拡大で緊急事態宣言、大学の建物は一年半も閉鎖されてしまいました。外出自粛、在宅勤務で生活のリズムも狂ってしまい、研究室での活動もできなくなりゼミ生もうつ病になってしまったりで、大変でした。


疲れが後から出てきて、2022年度にまた療養のための休職となってしまいました。頑張って資料を整理して支援していたDMTea裁判も有罪判決が出てしまい、途方に暮れていました。そのときですね、本の企画が持ち込まれたのが。


この時期、社会全体に不安が蔓延し、仕事が行き詰まったり、社会的に孤立してしまう人たちが増えて、日本でもそれまでずっと減少傾向にあったうつ病や自殺が2020年からまた増加に転じました。その背後で抗うつ薬としてのサイケデリック・ルネサンスが加速していたんですね。


精神障害による労災認定数の推移

うつ病などの精神障害による労災認定は、2020年の緊急事態宣言のころからジワジワと増えている。過剰な感染症対策によるメンタルヘルスの問題が、時間差で表面化しつつある。/出典:厚労省2023年度統計より
うつ病などの精神障害による労災認定は、2020年の緊急事態宣言のころからジワジワと増えている。過剰な感染症対策によるメンタルヘルスの問題が、時間差で表面化しつつある。/出典:厚労省2023年度統計より

…続く



 



※1 サイケデリック・ルネサンス:1970年代に規制されて以降、長らくタブーとされてきたLSD、シロシビン、MDMAなどの精神展開薬(サイケデリック)が、近年、精神医学や神経科学の分野で治療薬としての可能性が再評価され、研究や臨床応用が活発化している現象のこと。

※2 DMTea裁判:作家である青井硝子氏が、向精神作用のある日本に自生しているDMTを含む薬草茶を販売したとして麻薬及び向精神薬取締法違反幇助容疑で逮捕されたことで始まった裁判。裁判のきっかけとなった、DMTのお茶を飲んだ大学生は、うつ病を治したことでも注目されており、「精神医学の最先端」が議論されている裁判。2020年6月に京都地裁で始まり、2022年9月26日、懲役3年、執行猶予5年の判決が下されたが、青井被告は控訴し、大阪高裁で2023年4月18日に控訴審が始まったが、結論は最高裁まで持ち越される可能性が高く、その点でも注目すべき裁判である。

 ※3 1V-LSD:2022年の秋時点では未規制だったLSDアナログ(LSDと類似の構造と作用をもつ物質のこと)の一種。規制されたのは2023年3月。1V-LSD以外にも、LSDアナログは多数存在し、日本での流通も増えているが、規制されては新規物質が生まれて、というイタチごっこを繰り返している。国によって規制事情は異なる。



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1 Comment


kenjiman01
Feb 02

とても興味深いです、自分も長年に渡って取り組んでいる事柄です、今年中にペルーでアワヤスカの治療にも向かってみようと強く思っています、サイケデリクスが全ての悩める人の治療に繋がりますように。

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