
人間は超克されるべき
何ものかである
『ゾルゲンキンドはかく語りき』は、
人間たちのすぐそばにいる精霊たちの物語。
人間たちが忘れてしまった大切なことを教えてくれる。
労働と休眠というサイクルから抜け出せない俗なる世界を生きる人間たちは、資本主義という集団幻想の中で、カフェインの精霊とアルコールの精霊に頼る以外の術を忘れてしまった。
聖なる世界への抜け道を見失った人間たちは、抑鬱の中に封入されてもなお労働に労働を重ね、本来の自分を見失う。
ひどく疲れた人間たちを見かねて手を差し伸べたのが、カンナビノイドの精霊たちだ。人間たちを癒し、本来の無垢な姿を思い出させ、ときにサイケの精霊たちが住む森へと人間たちを案内する。
サイケの精霊と出会った人間たちは、俗なる世界から聖なる世界へと突き抜け、抑鬱へと追いやる共同幻想から覚醒する。子供に戻る。無邪気に遊ぶ――。


リアルが逆転し、真の健全性が
覚醒する鍵となる1冊
宗教は神秘的な経験の領域を、自らの教義に合致するように統制する一方で、合致しないものは排除した。(中略)近代のイデオロギーである資本主義もまた特異な形態の宗教だといえる。(中略)近代社会の教義はいわゆる「覚醒状態」を唯一のリアルな意識状態だと考え、睡眠や夢は誰もが経験することは認めてもそれ自体に意味があるとは見なさない。さらに「第四の意識状態※」に至っては、存在すること自体が異常と見なされる。
(蛭川立『彼岸の時間<意識>の人類学』,2002,春秋社)
神秘に触れることそのものをタブー視する見方がいまだ主流である現代社会では、サイケデリックスを幻覚剤と呼ぶことがあります。
しかし、インドの宗教観では、現実こそマーヤー(幻影)であると古より考えられており、仏教においても「色即是空・空即是色(yad rūpaṃ sā śūnyatā・yā śūnyatā tad rūpaṃ)」と、この世界は儚く実態のないものであることをマントラにしていることは、多くの日本人が知っていることです。
心の深奥を真剣に系統的に考える知的手法を発見したサイケデリクス使用者、通称サイコノートと呼ばれる探求者は、インドの宗教が説く、あるいは新プラトン主義、グノーシス主義、西洋の汎神論的、神秘的哲学と類似する世界像にサイケデリックス体験によって触れ、世界の構造を見抜いてきました。そして、世界の構造を見抜いたとき、例えば「うつ病」のような、資本主義社会による呪縛から解放され、本来あるべき健全性を取り戻したという記録は数多く残っています。
世界で始まるサイケデリック・ルネサンスは、俗なる世界を生きる人間たちが神秘というリアルに触れることによって集団幻想から覚醒し、内なる健全性を取り戻そうとする資本主義が極まった世界において必然的な流れかもしれません。『ゾルゲンキンドはかく語りき』もまた、サイケデリック・ルネサンスの潮流によって生まれた1冊。いまという時代だからこそ、多くの人の心に響く、サイケデリックスの精霊たちの囁きがまとめられています。
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※古代インドの奥義書『マーンドゥキャ・ウパニシャッド』に分類された、超越的な意識状態なこと。トランス、悟り、サマーディ、神秘体験、変性意識状態、サイケデリック体験、至高体験…などとも呼ばれる、非日常でありながら古今東西の人間が共通して体験してきた意識状態のこと。
